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狩猟ライフ② | 生きること、食べること

※狩猟の写真を含んでいます。苦手な方は観覧をお控えください。

伊豆のオオカミ “鈴木忠治”

都会に暮らしていると、レストランなどで携帯片手に食べている皿の中身も見ずに口にかきこんでいる人たちをよく目にする。何かが壊れている。

生きること、食すること、命を育てること、命をいただくこと…
肉や野菜を育てる方たちと、それを消費するだけの人間の間で静かなギャップが生まれて、それは限りなく大きなものへと変化した。それが消費社会が生んだ利便性の代償なのか?それだけじゃないはずだ。人から感覚を奪ったのだ。これだけものがあふれる国、なのに年間自殺者の異常な数、幸福度指数が低い。人が求めるものは明らかに物質や情報ではない…

川辺さんは鈴木忠治さんの元で狩猟を学んだ。鈴木さんは静岡県田方猟友会会長で西伊豆小下田で老舗の釣り船店「とび島丸」を営んでいる。海と山のプロフェッショナルだ。

川辺さんは都会からこの町へ移住し、獣害について知る。

鹿が大量に発生することで農作物への被害が拡大していること。山の草木が食べ尽くされ、山の自然形態のバランスが脅かされていること。そして猟師の高齢化や人手不足。猟犬を育てる人間や環境の不足…

日本全体が高齢化や経済の停滞で苦しい。都市集中によるアンバランス、地方の高齢化や過疎化、農業従事者不足。

それは皆んな、なんとなく知っている。

しかし実際にこの町に来て、現状を目の当たりにした。

猟師がいなければ山の自然のバランスを守れない。つまり農作物への影響も増えてくる。全てが追い打ちをかけるように加速していく。

鈴木忠治さんの技術を継承していくといったらおこがましいが、しかし川辺さんの中には猟師としてのミッションが芽生えたのかもしれない…

そして私は川辺さんについて罠を見に山へ車を走らせた…

狩猟

罠には一匹の鹿がかかっていた。数日前にもここで何頭か捕獲されていた。罠のかけてある場所は鹿の歩く通り道。そして山のふもとには農家さんの営む畑がある。

仕事がはじまる。

罠にかかった鹿の頭にスコップのような棒で容赦ない一撃を食らわせる。

間髪を入れず意識がとびかけている鹿の首のした、胸を特殊なナイフで刺し心臓を一撃し切り裂く。

プロの仕事は早い。

死んでいく鹿を見つめる川辺さん夫妻の表情はどことなく切なく優しい。
バタバタ暴れていた生き物がフッと静かに息絶える…
命を奪うとはこういうことなのだ!はっとさせられた。

猟はファッションじゃない。格好いいものじゃないし、何かたくましい男達だけの栄光の話でも勲章でもない。本来の生きるもの全ての日常なのだ…

私たちはこれから “生きていくこと” とどう向き合っていくのか?
今までのような消費社会の中で食の根元に目を背ける在り方で地球と共生していけるのだろうか?

川辺さんは銃を使わない。手に持ったナイフで直接命を絶つ。それには理由がある。鹿を殺して捨てるのではなく、頂いた命を何かに還元したい。そういう思いから鹿肉を加工して良質なドッグフードとして販売を始めたのだ。

新鮮な鹿肉を活かすためには狩猟のスピードは必須だ。夫妻は重たい鹿を山から引きづり下ろす。枝、草木、岩で覆われた山肌を下ろす。

想像を絶するほど重労働だった…

ソリのような道具に鹿を乗せ滑らせる。それでも簡単には行かない。
川辺さんは「まだ小さいほうだ」というのだが…

夫妻は車に鹿を積み込む。アクセルを踏む。
鹿の解体所に車を走らせるのだった。

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狩猟ライフ ① | 生きること、殺すこと

仕事のあり方、生活のあり方、が問われるターニングポイントにきている。突然仕事がストップし、生活が厳しくなり、今まで築き上げてきたものは何だったのか?何のためにがむしゃらに働いてきたのか?

何をもって生き甲斐なのか。人が生きるということは何なのか?

都心の生活から離れ静岡へ移住、プロの鹿撃ちの猟師として生活する一人の女性、川辺亜希子さん。彼女なぜこの生き方を選んだのか?そして彼女から見える世界とは一体どんなも景色なのか?

出会い

川辺さんを知るきっかけは私の母が切り抜いた新聞記事だった。東京での消費社会、使い捨ての生活に生き甲斐を感じることができなくなった女性の物語が綴られていた。

山で暮らしたいと移住し、そこで鹿狩りを知り、学び、生きた動物を殺し食べるという体験をすることで、命をいただく尊さを体感したのだそうだ。都会にいれば肉は綺麗に加工されスーパーに並べられている。そこから人間の衣食住の食に対するリアリティは生まれてこない。

いや、もしかすると…
目をつぶっていることを私たちが選んだのかもしれない…

私の母はいつも映像作家である私の今後の映画のネタになるようにと、印象的な新聞記事を切り抜き読ませてくれる。それがスタートだった。私はすぐにネットサーチを開始、この記事に関連する情報を調べた。そして川辺さんの活動を知ることになった。

いつか映画にしたいと思った…

そのためには川辺さんの生活を間近で体験しなければ本当に知ることはできないと感じた。そして2泊3日で川辺さんの提供する宿泊施設に泊まりながら活動を体験することになった。

狩猟への目覚め

東京から3時間ほどドライブ。川辺さんの住む小さな海沿いの町に到着した。川辺さんは旦那さんの川辺寿明さんとともに狩猟をフルタイムで行っているかなり稀なライフスタイルをおくっている。

ほとんどの猟師は期間限定で獣害を防ぐ目的で期間限定で狩猟をし、普段は違う仕事をしているものだが、お二人は猟師のプロとして365日活動することを県より認められている。

川辺さんは初めての狩猟体験を語ってくれた。生きた動物を殺し、解体し、調理して食する。食べることができなかったそうだ。生き物の生命を奪い、それを食するということに衝撃を受けた。同時に彼女の中には別の思いが浮かんでもいた。今まで食べてきた肉も生きていた動物たちのものだ。自分たち人間は感覚的に何かが大きくそれてしまったのではないか?

そして川辺さんは生きるということをもう一度見つめ直すことになったのだ。もともと、自然の暮らしに憧れ、自然の多い地へと移住した。そしてそこで彼女は想像以上の体験をしたのだった。

自然は甘くない。しかし故に自然も人もそこで必死に生きようとしていた。美しかった。

昨今、移住やIターンという言葉がよく聞こえるようになってきた。都心での消費生活に疲れた人たちが増えている。または第二の故郷を求めて…

伝統や文化、コミュニティが崩壊していく中、私たちは充足感をどこに向ければ良いのか?高度経済成長の延長でこのままいくことはできないと誰しもが心に抱いているのではないだろうか?

食べるために働いてきた時代から人の意識の中に変化が起こり始めている。

生きる=充足感を何に見出すのか?日本の衣食住が問われている。いや、実践していかなければならない時代が来ている。

川辺さんは移住したこの地で運命的な出会いをする。それは日本でもトップクラスの猟師であり、静岡県では「伊豆のオオカミ」として知られる鈴木忠治さんとの出会いだった。

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田んぼが好き | Episode

千葉県のとある小さな町。

そこに移り住んで数年が経つ鈴木知子さん。
田んぼを自分の手で耕して、米を育てています。

「なぜこのようなライフスタイルを選んだのですか?」
「私、田んぼが好きすぎて…」

そんな出会いだった


なんてまっすぐで素敵な言葉

これほどシンプルなものはない。

でも、僕たちはこんなシンプルなことができない人間になってしまってはいないだろうか?そう感じずにはいられないかった。

鈴木さんを紹介してくださったのは写真家の市毛實さん。本質を写真に静かにおさめる繊細なカメラマン。そんな彼の紹介だった。彼の写真には人の根源的な「本質」みたいなものが流れているけれど、好きを生きる鈴木さんにもそれは共通している。

好きを生きるって、自分のマインドに流されていたら、できない。
マインドってロジックであり、ロジックは現代病の「知識」だっていうことは最近ようやく言われ始めている。ネット上も知識同士の攻防戦で尽きない。みんなそれに疲れ始めている。薄々感じてはいた。

でも生きるってこと。それをただただ生きる。素敵だ。

「農業で使うようなマシーナリー(機械)はほとんど使わないんです」
「なぜ?」

その答えに自分が20年映像業界で毒されてきたことがわかる。
なぜなら機械を使わないにはこだわりがあるべきで、それはいわゆるオーガニックとか自然農園とかヘルシーっていうキャッチーで商業的な言葉が頭に浮かぶ。

でも鈴木さんが何で便利で効率的な機械をほとんど使わないで手作業でやるのか?

それはすべての作業が彼女に喜び”JOY”を与えてくれるからだ。

好きな作業を機械に任せますか?

彼女にとってはこの田んぼにいることが生きる喜びを与えてくれる。

予祝
春、田植えが始まる前に、友人や隣人が集まり、豊作を祈り、季節を祝い、語らう。人と人がつながる。

キャッチーな地方創生じゃない。
キャッチーな移住のエピソードでもない。
キャッチーなIターンやUターンでもない。
方法論ではない。政策でもない。

好き生きる。
ここには本当の人と人の繋がりが春を迎えはじめていた

EPISODE 2

田んぼ、土いじりが好きすぎて「お米を育てる」を生活の中心においた。

それでも生活はなんとかなった。

百姓は複数の仕事を生業にして生きてきた。そんなことを聞いた。

一つの仕事だけを、それも家賃を払うためだけに働くような生き方を考え、たどり着いた。

一生懸命会社のために働いていた時とは全く違う時間の流れ。

地元の農家や友人の仕事を手伝い、いくつかの収入源を確保した。

今日は苗代に苗床を作る。

苗代は、お米の苗を育てるための小さな田んぼ。

そこに苗床といってドロをこんもりと作り、水面ギリギリにしたところにタネを巻く。

昔ながらのやり方だ。

土を何度も耕してきめの細かい泥にして行く。

ここにタネをまいて苗を育てたら、苗を摘んで、隣の田んぼに植え替える。

仕事と思えば大変かもしれない。

でも鈴木さんにとっては、生活の中に人と人とのつながりを感じるために必要なプロセス。

今度仲間たちが種まきの手伝いにくる。

そこで育てたお米をみんなと食べたい。彼女はそう語る。

EPISODE 3

4月、種まきに集まる仲間たち。

種まきをしたことがない人も、この体験を待ち望んでいた。

この田んぼの広さがあれば一人が食べるだけのコメの量が収穫できるそうだ。

苗代の水は冷たくて気持ちいい。

長靴を脱いで素足で入る人も…

タネを蒔いたら、ローラーで泥の中に軽く押し付ける。

お米ってタネなんだ!

よくよく考えるとなんだかすごい!

芽がでるのか?みんなワクワクしながら数週間後を待つ。

EPISODE 4

5月末、田植えの季節…

苗たちはしっかりと育っていた。

鈴木さんが一番大変と言っていた苗とりの作業。

仲間たちが再び集まる。

炎天下の中作業が始まる。

一本一本の苗をドロから引っこ抜く。なるべく根っこを切らないように。

デリケートな作業。

ドロを落として束にする。

余計な雑草もこの時選別する。

翌日、田植えのお手伝いに20人近くの仲間が集まった。

この小さな町に田んぼを通じてコミュニティができつつあるのかもしれない。