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田んぼが好き | Episode

千葉県のとある小さな町。

そこに移り住んで数年が経つ鈴木知子さん。
田んぼを自分の手で耕して、米を育てています。

「なぜこのようなライフスタイルを選んだのですか?」
「私、田んぼが好きすぎて…」

そんな出会いだった


なんてまっすぐで素敵な言葉

これほどシンプルなものはない。

でも、僕たちはこんなシンプルなことができない人間になってしまってはいないだろうか?そう感じずにはいられないかった。

鈴木さんを紹介してくださったのは写真家の市毛實さん。本質を写真に静かにおさめる繊細なカメラマン。そんな彼の紹介だった。彼の写真には人の根源的な「本質」みたいなものが流れているけれど、好きを生きる鈴木さんにもそれは共通している。

好きを生きるって、自分のマインドに流されていたら、できない。
マインドってロジックであり、ロジックは現代病の「知識」だっていうことは最近ようやく言われ始めている。ネット上も知識同士の攻防戦で尽きない。みんなそれに疲れ始めている。薄々感じてはいた。

でも生きるってこと。それをただただ生きる。素敵だ。

「農業で使うようなマシーナリー(機械)はほとんど使わないんです」
「なぜ?」

その答えに自分が20年映像業界で毒されてきたことがわかる。
なぜなら機械を使わないにはこだわりがあるべきで、それはいわゆるオーガニックとか自然農園とかヘルシーっていうキャッチーで商業的な言葉が頭に浮かぶ。

でも鈴木さんが何で便利で効率的な機械をほとんど使わないで手作業でやるのか?

それはすべての作業が彼女に喜び”JOY”を与えてくれるからだ。

好きな作業を機械に任せますか?

彼女にとってはこの田んぼにいることが生きる喜びを与えてくれる。

予祝
春、田植えが始まる前に、友人や隣人が集まり、豊作を祈り、季節を祝い、語らう。人と人がつながる。

キャッチーな地方創生じゃない。
キャッチーな移住のエピソードでもない。
キャッチーなIターンやUターンでもない。
方法論ではない。政策でもない。

好き生きる。
ここには本当の人と人の繋がりが春を迎えはじめていた

EPISODE 2

田んぼ、土いじりが好きすぎて「お米を育てる」を生活の中心においた。

それでも生活はなんとかなった。

百姓は複数の仕事を生業にして生きてきた。そんなことを聞いた。

一つの仕事だけを、それも家賃を払うためだけに働くような生き方を考え、たどり着いた。

一生懸命会社のために働いていた時とは全く違う時間の流れ。

地元の農家や友人の仕事を手伝い、いくつかの収入源を確保した。

今日は苗代に苗床を作る。

苗代は、お米の苗を育てるための小さな田んぼ。

そこに苗床といってドロをこんもりと作り、水面ギリギリにしたところにタネを巻く。

昔ながらのやり方だ。

土を何度も耕してきめの細かい泥にして行く。

ここにタネをまいて苗を育てたら、苗を摘んで、隣の田んぼに植え替える。

仕事と思えば大変かもしれない。

でも鈴木さんにとっては、生活の中に人と人とのつながりを感じるために必要なプロセス。

今度仲間たちが種まきの手伝いにくる。

そこで育てたお米をみんなと食べたい。彼女はそう語る。

EPISODE 3

4月、種まきに集まる仲間たち。

種まきをしたことがない人も、この体験を待ち望んでいた。

この田んぼの広さがあれば一人が食べるだけのコメの量が収穫できるそうだ。

苗代の水は冷たくて気持ちいい。

長靴を脱いで素足で入る人も…

タネを蒔いたら、ローラーで泥の中に軽く押し付ける。

お米ってタネなんだ!

よくよく考えるとなんだかすごい!

芽がでるのか?みんなワクワクしながら数週間後を待つ。

EPISODE 4

5月末、田植えの季節…

苗たちはしっかりと育っていた。

鈴木さんが一番大変と言っていた苗とりの作業。

仲間たちが再び集まる。

炎天下の中作業が始まる。

一本一本の苗をドロから引っこ抜く。なるべく根っこを切らないように。

デリケートな作業。

ドロを落として束にする。

余計な雑草もこの時選別する。

翌日、田植えのお手伝いに20人近くの仲間が集まった。

この小さな町に田んぼを通じてコミュニティができつつあるのかもしれない。

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